杉田君の思い出(中)
「いらっしゃい、あの子なら、上の階にいるから上がってくださらない?」
杉田君の母親は、すんなりと僕を家にあげてくれた。僕としては、プリントを届ければ万事OKで、楽しい夏休みの始まりのはずだったのだが、そう言われてはプリントを置いて帰るわけにもいかなかった。杉田君のおばさんは、少し痩せただろうか?おとなしそうな印象は変わらなかったが、子供には大人の肥痩などわからなかった。
「入るよ・・・杉田君」
ドアをノックして、ドアノブを回す。杉田君のおばさんが後ろに立っていて、僕を見守っている・・・というよりは、見張っているような感じだ。
「何だ・・・君か」
ベッドの上に杉田君はいた。特に外見は変わったところはないようだが、酷く落ち込んでいるように見えた。感情が穏やかだという印象があっただけに、ここまで深く沈んだ彼を見るのは驚きだった。
「どうしたんだよ、皆心配してるんだぜ」
部屋の入り口で立ちすくみながら、僕は手提げ鞄からプリントを取り出し始めた。自分の分はランドセルに、杉田君の分は手提げ袋にと、区分けしておいたのだ。
「夏休みのプリントか・・・それを届けにきたんだね。でも、そんなのいらないよ」
「いらないって、そんなわけはないだろう。宿題はやらなくちゃ」
いつもなら、僕が宿題をサボって杉田君にたしなめられる立場だったのに、今日はそれが逆転していた。
「いらないよ。いらないったら、いらない」
駄々をこねるように、首を嫌々と振る杉田君に、僕はなんといったらいいのかわからなかった。正直なところを言えば、早くプリントを置いて帰りたかったのだが、僕の背後に杉田君の母親がピタリとくっついて立っていると思うと、あまり薄情な真似はできない。
「宿題やらなかったら、新学期に怒られるぞ。病気でも、少しくらいはできるだろ」
「新学期・・・僕には、きっとそんなものはこないんだ」
「何、言ってるんだよ。転校でもするのか?」
そうだ、転校だと思って、僕は聞いてみた。それなら、彼がナーバスになっている理由も、言っている事の説明も、おおよそはつく。
「そんなことじゃないよ」
「じゃあ、なんなんだよ。折角きたんだから、教えろよ」
「・・・」
「・・・」
「僕は、未来の自分の姿が見えるんだ」
「は?」
「ほら、疑った。もう、言わないよ」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった僕を、杉田君は責めるように睨んだ。きっと、杉田君のおばさんも同じような目で僕を見下ろしているのだろう。
「いや、ごめん。ちょっと意味がわからなかったからさ。ちゃんと説明してよ」
「だから、言ったとおりだよ。僕は、ある場所に尋ねると、次に自分がそこに来た時の自分の姿が見えるんだ」
「へ、へー。そうなの」
僕は、なんといっていいのかわからなかった。何せ、その時の僕は半そでの小学生で、興味があると言えば毎日通っている区民プールでいかに監視員の目をくぐりぬけてはしゃぎまわるかということだけだったのだ。
「でも、もう駄目なんだ。この前学校に行った時・・・僕は、「次」の自分が見えなかったんだよ!だから、僕はもう学校に行かない運命なんだ!行く前に死んじゃうんだよ!」
そう言って、杉田君は布団に突っ伏して泣きはじめた。水色のタオルケットが、見る見るうちに涙と鼻水を吸って紺色になっていった。
「なんとかいってくれませんか・・・」
杉田君の母親が、僕に言った。そうは言っても、僕は小学生なのだってばと、言いたかった。
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