パーラメントの女 1

パーラメントの女は、その名の通りパーラメントを吸う。この街で長く酒を飲む人間は、大抵はどこかで彼女とすれ違っている。

風をしぼれば水が出てきそうな、ある湿度の高い日。欲望を下半身から出したくてしょうがないといった風情の若い男が、バーテンダーに彼女の名前を聞いていた。鴉が羽を広げたようなアイシャドーや、年中不満気にテーブルに肘を突く癖が少々気になるものの、酒場で一人で酒を飲んでいれば、必ずと言っていいほど声をかけられるだけの美貌の欠片を、彼女は持っているのだ。

「顔が広いほうじゃないから、あんまり名前を知っている人は少ないんだ。僕達の間では、パーラメントの女って呼ばれてるけど・・・。やめといたほうがいいよ。あの人は気が荒いから。」
前の客が汚したテーブルを拭きながら、バーテンダーはこの街の新人らしい青年に言った。この街は、丁寧に酒の風味を嗅ぐ場所ではない。接客業とは思えない年季の入ったため息をつくと、バーテンダーはメニューの角についたケチャップを拭き取った。

「ふーん。でも、可愛いじゃん。」
そう言うと、彼は頼んだばかりのウイスキーを苦そうに飲んで、意を決したように席を立った。バーテンダーの評価など、最初からどうでもよかったのかもしれない。すぐにパーラメントの女のところへ行くのかと、バーテンダーが気を揉みながら見ていると、彼は一度トイレへと入り、髪の毛を整えてから、戻ってきた。

やれやれ。話しかける前に髪型を気にしているようじゃ、パーラメントの女の前では、一分も持たないだろう。

もう一度ため息をつくと、バーテンダーは厨房でナポリタンを作っている同僚を見つめた。さっきまで、厨房の彼とは逆のポジションにいたのだが、たまたま注文にナポリタンが入ってしまった。そして、この店で一番ナポリタンを上手に作るのは、厨房の彼なのだ。今日は、普段より2,3段階運の悪い日のようだ。

その男が近づいてくると、パーラメントの女は男の方を噛み付くように睨んだ。たとえ自分に話しかけるためではなくても、自分の方向へ来る人間を睨む癖が、彼女にはあった。呪術的な表現力を持つメイクと、口にくわえた煙草を目の当たりにしながらも、進んでいく男はなかなか果敢と言えよう。もしかすると、さっき胃に運んだウイスキーが、蒸気を吐いて彼の足が止まる事を許さなかったのかもしれない。

「ネ、ちょっと、一緒に飲まない?」

パーラメントの女が顎を乗せている肘に平行になるように、男は体を斜めにしてテーブルに手を付いた。
「へぇ、パーラメント、吸ってるんだ。女の子には珍しいよね。」
そう言って、テーブルの上に置きっぱなしにしてある百円ライターと煙草を無断で交互に手に取る。どこにでもある百円ライターからは、新しい会話の糸口はつかめそうにない。
パーラメントの女は、無言で数秒目を閉じると、かっと目を開いて睨みつけた。ただし、視線の先はまとわりついてきた男ではなく、不幸なバーテンダーである。

「なんで、こんなバカが、あたしのところに来るんだよ。」

そう、視線が物語っているような気がしたし、実際いつもそんな口調でバーテンダーを責めたてているのだ。

「一応、止めたんですよ・・・。」

そんな懇願するかのようなバーテンダーの視線は、彼女に汲み取られることはなかった。無言のまま、真っ黒なレザーブーツで男の弁慶を蹴り飛ばすと、男は
「ううっ?」
っという動物のような声をあげてうずくまった。自分に起きていることを理解するのに、数秒かかったようだ。

そんな男を珍しくもなさそうに見下げると、パーラメントの女はグラスの中のレッドアイを名残惜しそうに少し飲み、半分ほど残った赤い液体をすねを抱えてしゃがみ込む男の頭に浴びせかけた。ケーキをデコレートするかのように手首を回転させて、満遍なく髪の毛を濡らしていく彼女は、今日この店に来て初めて笑顔を見せた。

2007年01月01日 パーラメントの女 第一話 「開封」 トラックバック(0) コメント(0)

パーラメントの女 2

パーラメントの女がはいているレザーブーツは、数多の男達の股間を蹴り上げ、胡桃やビール瓶を踵で粉々にしたこともある、物理的な意味で男泣かせのアイテムだ。もし彼女がパーラメントを吸っていなかったら、レザーブーツの女と名前がついていたかもしれない。そんな、彼女のトレードマークの一つだ。
明日には必ず内出血で黒ずむであろう箇所を涙目になりながら抱えつつ、男はパーラメントの女を睨みつけて、口を開いた。

「てめえッこのアマ!ふざけんなッ!」

顔を真っ赤にして出された声は、たまたま会話の谷間をくぐりぬけて、店内に響き渡った。しん、と店内は静まり返り、人々の視線が彼とパーラメントの女に注がれる。コト、コト、と、次々にグラスをテーブルに置く音が、店のあちこちで聞こえ始めた。
よろよろと立ち上がり、伸ばした手は、明らかにパーラメントの女を捕まえようとしていた。その意思を見受けると、パーラメントの女も椅子を後ろへとずらし、立ち上がった。

ブーツを履いているとはいえ、パーラメントの女の背は低い。裸足で身長を測ったら、150cm程度しかないのではないだろうか。腕や足も不健康なくらい華奢で、クスリをやってるんじゃないかと噂が立つくらい、痩せている。一方、いまだ前かがみな男は、中肉中背ではあるものの、170cm程度はある。取っ組み合いになったのなら、余程の事が無い限りは男が力で勝るだろう・・・というのが、彼女を知らない人たちがする、一般的な予想だ。
だがしかし、店内に彼らを止めようとする人はいなかった。不幸なバーテンダーでさえも、ため息をついて、棚に飾ってある高い酒の前に立っただけである。彼らにとって、これは久々に見る名物であり、この店にくる微かな理由の一つでもあった。

「誰も教えてくれなかったみたいだから、よく聞きな、ぼうず。」

そう言って、パーラメントの女はバーテンダーをチラリと見、大きな舌打ちをすると、障子くらいなら破けそうな眼力で男を見つめた。突然浴びせられた男言葉に、ぼうずと言われた男は戸惑っている。歳の差でいうなら、大して変わらないんじゃないか・・・そんなのん気な事を考えている頭に、刑事ドラマの取調室に出てきそうな安っぽいアルミの灰皿が投げつけられた。

「アタシに声かけるなら、ボブサップ並にガタイを鍛えるか、すね当ての一つくらいしてからにしろッこのボンクラ!」

静まり返った店内に灰皿が着地して、パーラメントの女の口上に拍手をするかのようにカラカラと音を立てると、どっと、周りの観客から笑い声が聞こえた。久しぶりに見物をすることが出来たこの店の名物に、皆、満足げな表情をしている。

「てめえらッ!見せもんじゃねーんだぞ!」

気風良く、細い腕をまくるパーラメントの女に、どこかで拍手すら聞こえている。もっとも、彼女からは見えない角度から、こっそりとだが。

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パーラメントの女 3

心優しき青年、小池香(こいけかおる)が、バー「パイプカット」の扉を静かに開けた。半地下の店に続く扉は、少し気圧で重みを増していたが、このいかがわしい名前のバーの常連となっていた彼にはそれも苦にならなかった。彼の名誉の為に付記をすると、このバーの名前も雰囲気も、更に言うならば飲み屋に入るということすらも彼の趣味ではない。休日はゆっくりと紅茶を飲みながら、読書というのが、彼の本来の趣味であった。色々なことが変わり始めたのは・・・そう、パーラメントの女に出会ったときからである。

彼にパーラメントの女と出会ったときの思い出がよぎったかどうかでは定かではないが、ドアを開けた瞬間、ドアベルと共に

「てめえらッ!見せもんじゃねーんだぞ!」

という、パーラメントの女の良く通る声が店内に響き渡ると、彼の背筋は急にピンと伸びた。背の低い彼女だが、見つけるのは簡単だ。店内の視線が集まる先を追っていけばいい。案の定、パーラメントの女は椅子に足をかけて腰に手を当て、店の中心で威風堂々と啖呵を切っていた。

「もう、またあんなことして・・・!」

鞄を入り口近くのカウンターに置いて、ネクタイをほどきながら店の奥へと進む。礼儀正しい彼は、

「あっ香ちゃん。」

という、泣きそうな顔のバーテンダーに軽く会釈をするのを忘れなかった。

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パーラメントの女 4

パーラメントの女に声をかけた男は、戸惑っていた。確かに、バーテンダーは「気が荒い女」とは言っていたが、この女は、気が強いなんてものじゃない。世の中に初対面の人間にいきなりスネを蹴り上げて、灰皿を投げつける女がいるとは思わなかった。しかも、涙目になってぼやけた視界の中で、それに対して拍手をする爺さんまで見えてしまった。

なんだっていうんだ、この店は。

彼は、ふらりと立ち寄ったバー「パイプカット」を呪い始めていた。もしかしたら、この店は全員、彼女の知り合いなのか?とはいえ、既に激情から思わず大声を出してしまった(酒癖はいいほうじゃないが、久しぶりに酒を飲んで心から声を出した気がする)。このままやられっぱなしでは、いくらなんでも格好がつかない。注目してくるギャラリーを恫喝した後、意気揚々と臨戦態勢になったパーラメントの女は、よく見れば少女の様に華奢で、吹けば倒れるような体をしている。ボクサーの様に、空中にジャブを放っているが、未経験者なのは素人の自分でもわかる。何故、彼女はこんなに強気なのだろうかと、熱くなった頭のどこかで訝った。
とりあえず、腕でも捻れば大人しくなるのだろう。体を掴んでしまえばこっちのものだ。そう思って、男は手を伸ばした。

騒がしかった店内は、やけに静まっている。BGMのバスドラムがやけに強くなったなと思ったら、耳たぶの中を通る、自分の血流の音だった。

そんなに飲んでいないんだけどなぁ。酔いすぎたかなぁ。

霞がかかったように思考が鈍っているのは、酔いと怒りの両方の所為だろう。動かした体は、自分が思ったよりも俊敏に動いていた。

やけに静かな店内で、パーラメントの女の肩に、男の手が触れるか触れないかの刹那。ドスの聞いた声で

「危ないッ」

という声が、どこかから聞こえた。

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パーラメントの女 5

脇から丸太のような腕が伸びてきて、ナンパ男とパーラメントの女の手を素早く掴んだ時、パーラメントの女は内心で舌打ちをしながら、店内に飾ってある時計を見た。煙草のヤニで汚れたガラスの中で、バニーガールが九時丁度を悩ましげに指している。この店では客に終電を逃させるために、時計を実際より五分「遅らせて」あるので、彼は約束の時間の五分前に到着したことになる。

相変わらず、妙に真面目な奴だ・・・。そう思いながら、パーラメントの女は口を開いた。

「来るのがはえーよ。これから一戦するところだったのに。気を利かせろよ。」
「ご、ごめん・・・。でも、この前ちょっと遅れたら、ずっと後まで文句言ってたじゃん・・・。」

そんな二人のやりとりをよそに、パーラメントの女をナンパした男は焦っていた。たった今、店の入り口の方からもの凄い勢いで駆けつけてきて、自分の腕を掴んだ男。この男が、どう見ても只者には見えないのである。190cm以上の身長に、レスラーと見まがうほどにぎっしりと詰まった筋肉。既製もののスーツを胸板でパンパンにした体の上には、角刈りに髭を生やして、とどめとばかりにポリス風のサングラスを着けている。
つまり、心優しき青年、小池香の容姿は真面目なサラリーマンという事実があるにも関わらず、カンタンに言ってしまえば、ヤクザそのものであった。
ただし、それを一番気にしているのは小池香本人だった。電車で老人に席を譲ろうとして(勿論、彼はシルバーシートには最初から座っていないので、一般席の話だ)「因縁をふっかけられた」と勘違いされた上に、逃げ出されて警察まで呼ばれたことに傷ついたりしている(その結果、彼は最近ではどんなに疲れていても電車の席に座らないようにしている)。人情に厚く、義理堅い。そして、料理や散歩といった、ロハスな生活を愛する平和な男なのだ。ただ、ちょっと見かけがヤクザそのものなのと、口下手で不器用なところが、彼の人生に大幅に損をさせている。パーラメントの女の約束に遅れた時だって、道端で苦しそうにしゃがんでいるおばあさんを介抱しようとしただけなのに、警察を呼ばれてしまったのだ。

・・・もっとも、そんな優しい彼の心は、多くの一般人と同じように、ナンパをしようとした男には伝わらない。
生命の危険を感じた彼は、つかまれた腕をほどこうとしたのだが、押しても引いても、熊の様な毛むくじゃらの手はびくともしなかった。

「ほ、ほら、他のお客さんも見てるわけだし・・・ね?」
小池香が仲裁に入ったのを見て、不幸なバーテンダーもいつの間にか近くにきていた。パーラメントの女に向けて手の平を見せて、おずおずと声を出す。降伏と、猛獣をなだめるポーズだ。

「てめえっ!お前がついていながら、なんでこんなモヤシが声をかけて来るんだよっ!レイ・セフォーぐらいのいい男じゃなきゃ、通すなって言ってあるだろ!」

そう言って、パーラメントの女がブーツを蹴りだそうとすると、バーテンダーは慌てて射程距離外へと後ずさりをした。表情は必死だったが、500円玉を捻じ曲げた事もある小池香の腕力を信じて、ギリギリの距離しか動かない。

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